リーダーが課題解決にあたって、その課題の本質をとらえるための様々な手法が書店でも、ネットの各論文等でもよく取り上げられます。問題解決ともいわれますが、これが今結構ブームです。本質的にはどんな手法であっても、訓練を積み重ねるしかないということろは同じでしょうが、課題を解決するにあたっての「課題」をそもそもどうとらえるかという点は常に留意しておく必要があると思います。よく、「現象」を課題と捉えて対策を講じ、別の問題を引き起こしてしまうということが起こります。分かりやすい例でいえば、社内で営業が机で仕事をしており、外出が少ないという現象を課題と捉え、改善のために営業の外出件数をカウントし、それをKPIとして評価に反映するといったことでしょうか。結果として、営業が外出中に喫茶店で潰す時間が増え、肝心の業績には大して影響を与えないといったことが容易に想像できます。課題をどう適切に設定するのかが、課題解決する上でリーダーに求められることなのだと思います。
私自身の例では、(えらい昔の話ですが、苦い思い出として。。)小学校6年の時に生徒会みたいな組織にいたことがあるのですが、休み時間の運動場を上級生が独占しているという苦情があり、これの対応を求められたことがありました。この問題、別にそのときの起きた話はなく、ずっとある問題でその度運動場を学年別にわけたりする対応がとられてましたが、結局うやむやになるばかりです。で、当時の私たちが何をしたかというと、運動場の区分けがわかるようにラインカーで境界を引いて、学年の数字を書くなんてことをやってました。議論の出発点が「現象」で、現象に対する手当としての「手段」の実現方法や徹底するためになどという発想しかないわけですから、当然課題の解決になんかなりません。この時に「どうすれば上級生の独占」という現象がなくなるか、といった発想ではなく、「全校生徒が、休み時間を楽しく過ごせるためには?」といった課題を設定できていれば、もっと発想も広がっていたのかもしれません。
何かの問題について、議論を行う際に、あえて数段高い視点から課題設定することで、視野狭窄にならずに議論ができ、それにより必要な情報も明確になってきます。目の前の課題から視点を広げることで、余計な情報も増えると思いがちですが、それは逆で、誰もが納得できるゴールを課題として設定することで、それを実現するために必要な情報が絞られてくるのだと思います。課題解決にあたっては、関係者で本当は何を実現したいのか、ということを最初に明確にすることが肝要なのだと思います。

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